あさのあつこという人は知らなかったけれど、今晩の日経コラムで感服 した。とても立派な人だ。尊敬する。
彼女の「満開の桜によせて」と いうコラムから部分引用:
いろいろものを読む方だが、これだけ力のある文章に、最近お目にかかった ことはない。あさのあつこ、あっぱれである。
これは愛国教育ばかりには限らないと思う。今はやりの環境運動についても 同じ。「○○を愛せ」との体制による個人に対する強要が多すぎるのだ。願い下げだ。
環境論者は、二つに分かれる。宣教師的な布教精神に富んだ人と、それを利 用して自分に利益誘導しようとする人たち。前者はまだいいのだが、後者はおぞましい。例えば「農業の多面的性格」とかいって自然保護のために里山の風景や スギ林や農村を守れという。杉林はまさに人工的なもので、山林保有者の利潤追求動機から作られたものだ。日本本来の植生ではない。何が環境だ、何が自然 だ。おまけに戦後最大の公害被害と言える花粉症患者を作り出している。それなのに今までしこたま儲けて大きな資産を保有する山林保有者は、補償能力がない という理由で自分の責任を回避し続けている。アスベスト被害補償でのクボタの潔い態度を学ぶべきではないか。「農業の多面的性格」をWTO交渉や農業保護 政策論議に持ち出して来るに至っては、トンチンカンとしかいいようがない。切り離して議論するべきものだ。
花とは何か、人とは何か、生とは何か……穏やかに深く思考を働かせる。二十一世紀の今、この国に生きる わたしたちに、もっとも欠けている部分かも知れない。そう、人は思案し、徹底的に個に拘るべきだ。個に拘ることにしか、真実の文化は生まれてこない。(中 略、この国の大人と呼ばれる人たちは)野蛮なのだ。他者にぬけぬけと愛を強要するほどに野蛮で粗野だ。
「私を愛して」ならわかる。しかし、「この国をこの社会をこの○○を愛せ」と強いることの蛮行。
いろいろものを読む方だが、これだけ力のある文章に、最近お目にかかった ことはない。あさのあつこ、あっぱれである。
これは愛国教育ばかりには限らないと思う。今はやりの環境運動についても 同じ。「○○を愛せ」との体制による個人に対する強要が多すぎるのだ。願い下げだ。
環境論者は、二つに分かれる。宣教師的な布教精神に富んだ人と、それを利 用して自分に利益誘導しようとする人たち。前者はまだいいのだが、後者はおぞましい。例えば「農業の多面的性格」とかいって自然保護のために里山の風景や スギ林や農村を守れという。杉林はまさに人工的なもので、山林保有者の利潤追求動機から作られたものだ。日本本来の植生ではない。何が環境だ、何が自然 だ。おまけに戦後最大の公害被害と言える花粉症患者を作り出している。それなのに今までしこたま儲けて大きな資産を保有する山林保有者は、補償能力がない という理由で自分の責任を回避し続けている。アスベスト被害補償でのクボタの潔い態度を学ぶべきではないか。「農業の多面的性格」をWTO交渉や農業保護 政策論議に持ち出して来るに至っては、トンチンカンとしかいいようがない。切り離して議論するべきものだ。
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